忌明け法要でもある四十九日の法要の後にも、百か日忌や一周忌・三周忌・七回忌・・・三十三回忌と年忌法要は続きます。
他にも、祥月命日やお彼岸・お盆などの供養は毎年の行事というように行なわれています。
年忌法要に関しては、どんどんと省略される事が多くなってきています。理由はいろいろとあるでしょうが、家族が分散しているという事が大きいのではないかとも思います。
法要を行なうにはいろいろな準備も費用もかかります。施主となる人の周りに家族や親族がいないのであれば、なかなかすべての法要を執り行なうという事も大変であり、そのたびに集まってもらうというのも大変な事なのでしょう。
その結果として特別な法要だけを執り行なったり、本当に少人数の家族だけのものにしてしまうという事も多いようです。
又、法要を行なう場所も問題のひとつです。
一般的に法要は自宅で行なわれていましたが、ある程度の広さがないと行なうのは難しいでしょう。
その場合はお寺という事になるのですが、檀家を持っていなかったりすることもあって、会場を決めなくてはいけないというような事も原因になっているのではないかとも思います。
今までは、それでも大勢を呼んで立派な法要をすると言う事がいいとされていたので、昔ながらの法要が行なわれてきました。
でも最近では、葬儀も含め心のこもったものであれば葬儀や法要の規模や豪華さというものは問題ではないと考えられてきています。
そのため葬儀同様ごく身内だけでの法要というものも増えてきているのです。
どんどんと省略される傾向にある年忌法要は、それぞれに決まった日にちに行なわれるには理由があるのですが、その理由というものはあまり重要にされなくなってきています。
そのため他の法要と一緒にしたり省略したりという事が続き、その意味もあまり感じなくなってきているというのがなくなってきている理由ではないかと思います。
お葬式というもののとらえ方もどんどん変化しているのですから、それは仕方の無いことなのかもしれません。
でも、もう一度、何のための儀式であるのかということを考えて見ることも必要なのではと思っています。





